東京と弟と俺。



2月2日、春休みというのにわたくし梅高の起床は早かった。朝早い便で弟がやってくるのだ。


弟の東京への目的は受験。17日までの16日間という受験にしては長期滞在である。

前日のうちに掃除は終えていたし、もともと電話で

「めんどくさいから1人で俺の家まで来て」

とは言っていたので、ベッドから出る気など毛頭なくスマホをいじっていた。



朝8時台だっただろうか。あの日は東京では珍しく雪が降っていた。洋服に着たての白いメルティーキッスを纏った彼を迎え、二人の16日は幕を開けた。





とりあえず、私が受験生を迎えるにあたって何より嫌だったもの、

それが、


・6時半という早起き

・朝食の摂取


である。



学生生活を送る中で、いつの間にか無くしていたこれらをしなきゃいけないきつさ。私は心から声に出していいたかった。



朝はもっと寝たいし食べなくてもなんやかんやいける。



……けど受験生がいたらそんなこともいえないのである。

弟のリズムを壊したらその責任はもちろん私にも降りかかってくる。周りからしたら本人が悪かったではおさまらない。

はぁ、保護者代理とはこんなにも大変なのね。こりゃ半月耐えだな。




健康を強いられながら始まった私の戦いだが、楽しいことももちろんあった。

弟が実家から3DSを持ってきてくれたおかげで、友だちからプレゼントでもらっていたポケットモンスターウルトラサンがやっとはじめられるのだ!

こんなに嬉しいことはないし、すぐに始めると案の定秒でどハマリした。久しぶりのポケモンカセットだったからそりゃもう。


そしてその数時間後、そこには受験勉強をする弟とその隣でひたすら小型機と向きあう兄の構図が誕生していた。



兄は自分が誇らしかった。兄貴は黙ってイヤホンをつけてゲームをして、弟の勉強環境を整えている。

なんて素晴らしい。弟はさぞ気が散らずに勉強できるのだろう。なんだ簡単じゃん。保護者代理余裕じゃん。




とはいえ、兄は兄としてどうしたらいいものかわからず、それが露呈される日がやってくる。

2月4日。初受験である。


最初の試験は、だれもが緊張するもの。受験1発目。パツイチ。しかも大学本校での受験。


私は地方受験が多かったが、国公立では現地での受験だったのでなんとなくわかる。第一志望じゃなくても志望校での受験っていうのは良くも悪くもハイになる。しかもそれが1発目の受験ともなると、かなりのものだろう。


前述からお察しの通りそこは彼の第一志望ではなかったが、それでも前日から彼は普通ではなかった。早めに寝ようとするが眠れない。そんな感じだったと思う。


私はわからなかったので、終始呑気に振舞った。それが自分なりの正解だと思った。見送り中電車でポケモンするし(いや先にイヤホンをつけて集中しだしたのは弟であってだな…)、最寄り駅に到着すると初めての土地に感動し、「いい街だな〜」とか言っていた。受験生の列の中二人で歩きながら、私はずっとしょうもない話しかしなかった。兄貴なりのほぐし方の引き出しには、これしかなかった。

別れた後、私は自分のあるべき姿に悩んだ。




そして、その後は流れていくように日が経っていった。

弟も受験やこちらでの生活にだんだんと慣れた様子で、

時折「乗り換えとか考えずに集中したいから(受験場まで)来て」みたいな可愛いことは言うけれど、

私が留守にする時も立派に生活していた。



……慣れは怖い。


ちょうどそのタイミングでおばあちゃんが仕送りしてくれた。お米やお菓子が入ったダンボール。

ありがたいのだが、そのお菓子は食い散らかし。服は脱ぎ捨て。

(ま、それは私もなんだが。)


部屋は荒れ果て、特に最後数日は彼が来た時の掃除された部屋などどこにもなくなっていた。





兄は気付いていた。そうなった原因が自分にあることを。自分が受験生の弟に、だけでなく家族の弟に、なにもしてやれてないことを。


予定があったとはいえ、不安の中1人で会場に向かわせたり、寂しく夜ご飯を食べさせたことも何度もあった。

過保護かもしれないけれど、1人になった方がいい時もあるかもしれないけれど、

その惨状が、部屋に現れているのだと思った。



自分が情けなくて仕方なかった。


全校受け終わった後彼には遊べる日がやってきたが、そんな時にも一緒にいられなかった。

映画も1人で行かせてしまったし、最終日前日にはアウトレットには一緒に行こうと言っていたのに、直前に行けなくなって、寂しい思いをさせてしまった。



弟のアウトレットの帰り、一緒にやよい軒に行った。

受験日前日はちゃんと食べた方がいいと言い俺が勧め何度も通ったやよい軒を、彼は気に入ったようだった。

混んでいて待ったり、思ったより食べられなくて頑張ってお腹に入れたり、ふざけてたわいもない話をしたり。

思い出がつまった場所で、食事程度のわずかな時間しか一緒にいてやれなかった。

それでも目の前の弟は、気丈に振舞っていた。

アウトレットでは楽しく買い物できただろうか。数点買ったみたいだけど、お気に入りが買えたのだろうか。


そして明日も……また、、、




最終日、私は1人で朝家を出た。見送れないかもしれないから、鍵は隠してポストに入れとけと言って。

サークルを終えた私は、夕方旅立つ弟を見送るべく、急いで羽田に向かった。幸いまだ飛行機の時間まではまだ少し猶予があった。頼む、追いついてくれ。


浜松町に向かいながら、弟にLINEした。今どこだ。もう空港か。


通知が来た。



亀戸。



うおおおおおおおおおし!

まだ全然おーーーけーーー!てか俺の方が早く浜松町つくやないかーーーーーーい!



早めに家を出て空港に向かうのを促していたのでもう空港でもおかしくないと思ったが、まだ亀戸とは。

そりゃあれだけ荷物散らかしてたら見つけられないものとか余裕でありそうだし、というかその旨の不在着信も来てたし、結構手こずってたんだな、笑


浜松町で合流しモノレールに乗り換え、一緒に羽田に。


全てを終えた弟は堂々としていた。アウトレットで買った新品の服に、東京初日に来ていたアウターを被せるというファッションをぶちかました弟のスーツケースは、COACH製にも見えた。


それでも時間はすぐに過ぎていき、いつの間にか空港につき弟はチェックインを済ませていた。

その日ほとんど食事していなかった私がそこで買ったカツサンドを食べている間にお土産を見に行くと言った弟は、コカ・コーラの缶を2本持って帰ってきた。


「そこで配ってたから行きと帰り貰ってきたー」




私にこのコーラを貰う権利はあるのか。

おれはお前にどれだけしてやれたか。


弟と別れた帰りもずっと考えていた。


朝起きたら7時半でそこに朝食が並んでいる日もあった。

大興奮のポケモンのチャンピオン戦、思わず勉強してる隣で「ハイパーーダーククラッシャーーーーー!!!」と叫んでしまった時もあった。



そしてもう彼はいないのだ。



16日間。それは新たな日常になりつつあったところだった。

家に帰ったら中から音がして、ただいまっていう感覚はもう味わえない。今日のことを話す相手がいない。



気付いたら、弟が兄を頼るどころか、兄が弟を必要としていた。



弟と約束していた封筒を受け取り、家の扉を開けた。



靴が並んでいる。



まさかと思った。

トイレも、台所も、綺麗に片付けられていた。

ゴミは出され、出しっぱなしだった先日の仕送りのダンボールは畳まれ、私の荷物までまとめら……







ん。











んんん???












見覚えのあるものと見覚えのないものが並んでんな。


ひとつは以前貰っていたおばあちゃんおじいちゃんからの誕生日祝の封筒、

その上に被せるように、アウトレットのショッピングバッグがある。



あいつの忘れ物か?けどその説ないよな、違うよな、

だって明らかこの誕生日祝の封筒意味深だもんな、、、、






んなああああああああああああああ!


完全に1本とられたあああああああああああ!!


ずりぃー!ずりーわそれは!反則!!レッドカード!退場!


しかも自分では何も言わない!既にある封筒でそれをわからせる!!かっこいいかよ!せこ!はせっっこ!せこすぎ!ずるっ!きもっ!いやちょはああああああ?










というわけで、本日二十歳になりました。

まだまだこんなザコです。弟にかまされる程度の男です。

後に電話をしたら、嬉しそうな声で「お世話になりました」って言われました。ほんとに素敵な弟を持ちました。受験お疲れさま!


成人ということですが、まだまだ弟にかまされる程度のクソザコなので、もっともっと精進して、いつか弟にかましてやります!(ダサい)




十九になる時は京都で得度中で、それまでほとんど着たことのない衣を身にまといながらの誕生日でした。

そして、今日。私はまた新たな服を身にまといました。それはいかにもあいつの好きそうな、真っ白い服。あいつが纏った雪よりも、ずっとずっと白い服。

お兄ちゃんにはちょっと若すぎるかな、へへっ。
















f:id:bakimuni:20180219004245j:plain

※忠実に再現しました。

※私のもうひとつの近況はとあるアプリゲームの日本人公式大会でベスト16に入ったことです。しょうもないですね。